2013年07月09日
(子)羊たちの沈黙
先日、たまたま伏見へ行く用があり、そのついでに「ヤマハ」によった。
何か面白そうな本がないかと物色していて、「さよならドビッシー」と「6本指のゴルドベルグ」が目に付き購入してきた。
「さよならドビッシー」は「このミス大賞」を受賞し映画にもなったらしく、なんとなく題名が頭の片隅に残っていたので衝動買いした。「6本指のゴルドベルグ」は、「ゴルドベルグ」といえば、当然「バッハ」という名前より先に「グレン・グールド」が頭に浮かび、すぐに手に取ってしまった。グレングールドの「ゴルドベルグ変奏曲」といえば、わたしがランニングするとき(フィットネスでも、マラソンのときも)MPプレイヤーでいつも聞いている曲である。ちょうどわたしのランニングのペースに合っていて、この曲を聴いていると快適に走ることができるのだ。
書いてあることは、やはりグレングールドのゴルドベルグ変奏曲のことだが、映画「羊たちの沈黙」と「ハンニバル」の(準)主人公である、ドクター・レクターがグレングールドの「ゴルドベルグ変奏曲」のファンであり、映画の重要な場面でこの曲が流れるということであった。また、6本指とは、ドクター・レクターが先天性の多指奇形で中指が二本あるということから、この題名となったのである。
筆者は、ピアニストなので指に関しては常人とは異なる関心があるのであろう。指が1本多いとピアノ演奏には有利なのだろうか?そうは単純にはいえないと思う。かえって邪魔かも知れないし、いっそ阿修羅か千手観音のように指だけでなく、手が何本もあったらすごい演奏ができるだとは思うけど...
それはさておき、早速「羊たちの沈黙」と「ハンニバル」のDVDをレンタルしてきた見ることにした。
判明したことが。「羊たちの沈黙」は実は「子羊たち(lambs)の沈黙」だった。日本語名にするときの語呂から「羊たち...」にしたのだろうが、キリスト教文化圏の人たちには「子羊」は当然特別な響きを持っていることが想像される。
「羊たちの沈黙」で、ゴルドベルグ変奏曲が流れるのは、一箇所だけでドクター・レクターが脱走する少し前のシーンだけである。一方「ハンニバル」では、いろんなシーンのバックで流れている。。
また気づいたことが、いくつか、「羊たちの沈黙」にくらべ「ハンニバル」はぐんと映画のクオリティが落ちて、「羊たちの沈黙」で感じられた知性や文化的な香りが一切なく、ただのホラー映画になってしまっていること。
主役の女性(クラリス・スターリング)が、あまりにも違う。「羊たちの沈黙」ジュディー・フォスターの美しさとすばらしい演技にくらべ、「ハンニバル」のクラリス・スターリングのただ胸の大きいだけの女優(名前も知りたくない)の落差には愕然とした。
かろうじて、アンソニー・ホプキンスだけが、「羊たちの沈黙」に近いレベルだっただけで、そのほかは論評したくもない惨状だった。