2007年03月29日
庭のヒメオドリコソウ(姫踊り子草)
庭のプランターにヒメオドリコソウが咲いていた。
植えた覚えがないのに、どうして根付いたのだろう。
調べると花期は、5月からとなっていたが、暖かかったので早めに咲いたのだろうか?
でも、もっと調べると11月から6月などと書いてあるHPもある。案外当てにならない。
あちこち歩きに行ったときに見た印象からいうと、なんとなく春のイメージはもっていたが。
ちょっと名前負けのような気もするが、それなりにかわいい花である。
名前が素晴らしすぎるのかも。
別のプランターには、よく似た花がさいている。こちらは、名前を知らなかったので、やはりインターネットで調べると、ホトケノザと書いてあるものによく似ている。
偶然ではあるが、ヒメオドリコソウとホトケノザは親戚らしい。
携帯電話のカメラで撮った時、設定をマクロにしていたのだが、ピントが花より後方にあってしまい、花の部分がぼけてしまった。ここらあたりが携帯電話付属カメラの限界か?
う~ん、技術のほうの限界か。やっぱり。
携帯電話はモチロンだが、デジカメ(普及機)でも液晶画面での撮影画像の確認は難しい。
やはりデジカメでも一眼レフタイプのような覗き込むファインダーが欲しいなあ。
前から買いたいと思っているのだが、なかなか手が出ない。
2007年03月28日
日本銀行前でシデコブシを発見!!
仕事からみで、丸の内(伏見通りと桜通りの交差点)へいった。地下鉄の6番出口を登ると日本銀行名古屋支店の前に出るが、その出口の東側に「シデコブシ」が満開になっていた。
白くて大きな花弁が一つ一つ反り返って咲いて、本当にきれいだ。
コブシの花は昔から知っていたが、シデコブシは名古屋万博計画で話題になったときに初めて名前を知り、海上の森(カイショノモリ、県外の人のために念のため読み方を書いておきます)まで、見に行ったものだ。
とはいえ、モチロン「コブシ」と「シデコブシ」の区別は判断できない、なぜシデコブシとわかったかというと、木の名前を書いた札がつけてあったからである。
シデコブシの自生地は、万博で問題になったくらいで東海地方でも限られているということだから、こんな街中で街路樹になっているということは、どこかから持ってきて移植したのだろう。
でも、元気に咲いていた。
桜通りはもともと、桜がたくさん街路樹として植えられていてその名がついたわけで、もう1週間もすれば名古屋駅前から大津通りに向けて道路の両側の桜の花が満開になるだろう。
シデコブシのほうは、ちょっと周りを見たところ日銀前と桜通りをはさんだ通りの北側の2箇所だけのように見えた。
こちらは、咲いている場所の雰囲気がわかるように全体像を写してみた。日限の名古屋支店まえからほぼ北東を向いてとってある。
2007年03月26日
デンパーク フクシアの花
デンパークへいったら、フクシアの花の展示をしていた。
安城市にデンパークというのがあることは前から知っていたが、今回初めていった。
デンパークの一部が道の駅になっていて、新鮮な野菜を売っていた。
とても値段が安く、ついついたくさん買ってしまった。
いちごや野菜がスーパーの7割くらいの値段で売っていたのだが、スーパーで買うもののように形やサイズがそろっていなくて、かえって新鮮でいいもののような気がした。。
温室ではフクシアの花の展示をしていたが、貴婦人のイヤリングと書いてあったが、花が茎からぶら下がって咲く珍しい花だが、とてもきれいだ。
2007年03月25日
八竜緑地の春りんどう
八竜緑地に春リンドウが咲いた。
暖かい日が続いたので、守山区の八竜緑地の様子を見に行ったら、もう春リンドウが青いかわいらしい花を咲かせていた。
まだ、咲き始めなので、群生地のあちこちにひと株ふた株の花が咲いている程度だ。
昨年始めて見に行ったのだが、最初に行ったときには花が咲いているはずの時期なのに、全然花を見つけることができなかった。
どこにあるか探していると、よそのおばさんが教えてくれた。陽が射さないと花を開かないそうだ。
確かにその日は曇り空だった。次の晴れた日に行くと、なるほど陽のあたるところでは花を開き、陽があたらないところでは花を開いていない。実に、ゲンキンな花なのだ。
花の大きさは数センチの小さな花だが、最盛期になると群生地一面に咲くのできれいだ。だが、一つ一つの花もこの写真のように十分美しい。
ところで、わかりにくいが背景の枯れ草の間にある茶色のものは、実はもうせん苔である。
八竜緑地はもうせん苔の自生地でもある。
こちらは6月ころに花を咲かせる。こちらも昨年見に行って写真も取ったが、知らないと絶対気がつかないような小さな花だ。
さらに、昨年はシデコブシがあるとのことで、一生懸命探したのだが、花期ではなかったので、見つけることができなかったが、今回は咲いているところを見つけることができた。満足まんぞく。
2007年03月11日
ペットロス
二代目猫の、タツ君が、アノ世へと、旅立ったのは、今から4年前。 家族全員で見守ってあげれたのが、幸いでした。今でも、家族の呼びかけに健気に頷く?!タツ君が思い出されます。
ミシェルを我が家へ迎えたのは、それから、2年たってからでした。ペットロス・・・家族の一員だった、ペットを亡くしたからといって、すぐに新しいペットを迎えるのではなく、ペットをなくしたことを十分に悲しんだ後に新しいペットを迎えるのがよいと、何かの拍子に聞いていたのですが・・・。
タツ君の、葬儀(長女の希望で、春日井のペット専門のお寺さんで、葬儀をして、遺骨を拾ってきました。人間様の葬儀と変わらず、お坊さんが、お経を上げて、遺族のご会葬?!もあります。大の大人が「最後のお水をあげてください。」などと、神妙な顔つきで言って、とっても、ちいちゃな葉っぱを渡してくれるのが、ちょっとおかしかったです。)の後、子どもたちを励まそうと、洋食屋で、ささやかな宴をして、静かに、タツ君を偲んだのでした。
タツ君がいなくたってからも、どっかそこらから、ひょっこり顔を出しそうで、破れた障子などもそのままにしておきました。タツ君が外を見たいとき、そこらにご主人様がいないのを見計らって、大胆にも、前足で、ブスッと大穴をあけたりしたのです。
半年ぐらいしてから、タツ君がストレスのままに、引っかきまくった壁紙をきれいに張り替えると、家が見違えるようにきれいになり、う~ん!猫がいないと助かるなぁ~なんて、しみじみ感じたりしたものです。
タツ君がなくなったのは、5月でしたので、お正月が来るのを境に壁紙の張替えや、障子の張替えをし、そのあたりから、我が家は、猫のいない生活、部屋の荒れ具合も少ない家へと 変わっていったのです。
それからも、「猫が欲しいね、犬が飼いたいね」との話題が出るものの、なかなか実現には至らず、長女にいたっては、「猫を飼う」の話題にジロッと、こちらをにらんでくる始末。
それが、次女の、計略でミシェルを飼う事になったのが、去年の2月。幼い仔猫の姿に、“猫のいる生活って、なんていいんだろう!!”という気持ちが、みずみずしく、心に広がるのを感じました。
やっぱり、なくしたペットを十分にいとおしみ、そして忘れてあげる、それがペットロスという行為なんだなと思いました。
長女と、ミシェルとの関係には気を配りました。2~3日は、(これは私の猫ではないぞ!)と言わんばかりに自らミシェルには触ろうとしなかった長女ですが、「ちょっと、触ってみたら?」との誘いには、そう抵抗することもなく、ちょっと触ったりもしたのです。
仔猫っていうのは、すごく好奇心が強くて、なんにでも興味を示し、特にミシェルは、種の特徴である、人懐こさもあって、自然に長女にも受け入れられていったのでした。
今では、仕事から帰ってくると、「ミー!!」とか言って、ミシェルを呼びつけ、(はぁ~?!)と、けだるい注意をミシェルから受け取り、仕事の疲れを癒す!?長女です。
2007年03月06日
県芸のパイプオルガン
先日、某大学の交響楽団の演奏会があったので行ってきた。
演目は、シベリウスの曲と、メインはドボルザークの「新世界より」だった。
素人向きの選曲で、聞きやすかった。
そういえば、若かりしころ初めて買ったクラシックのレコード(33回転LPってやつだ)は、今でもはっきり覚えているが、ユージン・オーマンディ指揮ニューヨークフィルハーモニー演奏の「新世界より」だった。曲名が「新世界」ではなく「新世界より」だと言うことも、そのとき知った。
まずは初心者でも聞きやすく、わかりやすい曲だろう。
最近は(ここ何年かは特に)モーツアルトに人気があるが、クラシック全集などというCDセットなどが出れば、「田園」や「未完成」と並んで初回販売の曲の第一候補だろう。
ちなみに、この曲ではシンバルは全曲を通して一回(一打ち)しか出番がないことで有名だ。
やはり若いころ、「世界文学全集」と言うものを、購入していたが、弟1回目の配本がドストエフスキイの「罪と罰」、第2回目の配本がスタンダールの「赤と黒」だった。
中学生のころだったが、徹夜して2,3日ぶっづけで「罪と罰」を読んだ記憶がある。
今は、世界文学全集などというものの出版はあるのだろうか?
ともかく、世界文学全集が企画されれば、第1回配本は、だいたいこのあたりの本になっていたが、ドボルザークの「新世界より」も同じような位置づけだろう。
話はそれたが、学生中心のオーケストラではあったが、それなりに楽しめた。
指揮者はプロらしかったが、どうも金管(ホルンかトロンボーンか?)が時々音をうまく出せないことがあり、ちょっと残念だった。さらに言えば、弦の音にもう少し豊かさがあれば、さらによかった。
とりあえず自分に関しては無料で聞かせてもらったので、文句を言えないが...
それはさておき、愛知県芸術劇場のコンサートホールは、何年も前のアルフレッド・ブレンデルのとき以来で久しぶりだったが、写真のように立派なパイプオルガンがあることに驚いた(前のときにも見ているのだろうが、忘れていた)。
高音部のパイプが、ラッパのように前方へ(水平に)突き出されているのは、岐阜のサマランカホールのものと似ているが、これも辻さんの作品なのだろうか?
ともあれ、このパイプオルガンの演奏もいつか聞いてみたいものだ。