2012年05月31日
四国石鎚山。今も女人禁制!?
2日目は、早朝に道後温泉を出発し石鎚山に向かう。四国最高峰の山だ。
石鎚山は土小屋から登るが、その登山口までのアプローチは長い。
ただ人は多く入っているようで、道は整備されているし、登山口には舗装された広い駐車場やトイレも完備されている。
鎖が出てくるあたりまでは、登るというより横へ横へとだらだらとした道が続く。
土小屋方面から登るときには、鎖場は2箇所ある。
鎖はとても太い。そして要所要所では、足をかけられるように大きな輪になっている。
斜度はかなり急で、登っているときには90度近くに感じられるが、70度くらいかもしれない。
岩の膨らみと鎖に足をかけながら登るが、登りきる頃には汗が噴出している。
鎖場がいやなひとには、迂回路が設けられているので、危険な思いをせずに登ることもできる。
最後の鎖を登りきると、弥山の頂上にでて一安心できる。
神社や、建物があり、天気がよければのんびりできる場所になっている。
ここに荷物を置いて、弥山より数メートル標高が高い天狗岳に痩せた尾根をつたって行くことができる。
帰りは元来た道とは違い、成就社を通り、ロープウエイで下山した。
ちなみに、この山は昔は女人禁制だった。
それはなくなったが、今でも7月1日だけは女人禁制である。
2009年11月12日
50山ラリーホームページ公開
日本山岳会東海支部で50周年記念事業として実施している「50山ラリー」のホームページが完成し、公開された。
この「50山ラリー」は、「日本100高山」、「郷土富士」、「花の山」などテーマ別に9つのコースを設定し、コース別にリストアップされた100から200以上の山のうち、自分の登った山が、該当コースのリストの山50座を超えると、そのコース達成となる。
期間は、2009年1月1日から2011年9月30日まで。
過去にも「100山ラリー」などを実施しているが、この企画を通して、会員が多くの山に登ることや、地元の山を中心にリストアップしているので、地元の山に興味を持ち、地元の山が登られ、登山活動が活発になることが目的になっている。
今回、会員が登った山の記録が迅速に登録され、達成状況やどんな山が多く登られているかなどの「50山ラリー」の状況をリアルタイムでインターネットで見られることを目的に、「50山ラリー」のホームページが公開された。
山岳会の会員は、定年退職した人など高年の人が多く、インターネットにどれほど親和性があるのか、少し心配もあるが、登山をしている人は高年とはいえ、体力も意欲を強い人が多いので、このホームページも活用されるのではないかと期待している。
また、登山記録の閲覧だけでは、楽しみがすくないので、さらに登山したときの写真を掲載したり、いろんなおしゃべりが出来るブログも同時に公開された。
50山ラリーのホームページ ← ここをクリックしてください。
50山ラリーのブログ ← ここをクリックしてください。
この「50山ラリー」は、「日本100高山」、「郷土富士」、「花の山」などテーマ別に9つのコースを設定し、コース別にリストアップされた100から200以上の山のうち、自分の登った山が、該当コースのリストの山50座を超えると、そのコース達成となる。
期間は、2009年1月1日から2011年9月30日まで。
過去にも「100山ラリー」などを実施しているが、この企画を通して、会員が多くの山に登ることや、地元の山を中心にリストアップしているので、地元の山に興味を持ち、地元の山が登られ、登山活動が活発になることが目的になっている。
今回、会員が登った山の記録が迅速に登録され、達成状況やどんな山が多く登られているかなどの「50山ラリー」の状況をリアルタイムでインターネットで見られることを目的に、「50山ラリー」のホームページが公開された。
山岳会の会員は、定年退職した人など高年の人が多く、インターネットにどれほど親和性があるのか、少し心配もあるが、登山をしている人は高年とはいえ、体力も意欲を強い人が多いので、このホームページも活用されるのではないかと期待している。
また、登山記録の閲覧だけでは、楽しみがすくないので、さらに登山したときの写真を掲載したり、いろんなおしゃべりが出来るブログも同時に公開された。
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2009年11月03日
夜叉が池
10月31日に、夜叉が池に登って来ました。
紅葉の季節は駐車場がいっぱいで近づけないと、事前に脅されていたので、6時半に集合出発。
名神高速を大垣で降りて、247号線から303号線をどんどん山の中へ、大垣ICからでも1時間半くらい、こんなに山の中へ来たかと思っても、人家がたくさんある。
思ったほどは駐車場も込んでいず、無事車を止めて、いざ夜叉が池へ。
登りはそれほど大変でもなく、夜叉壁だけはちょっと注意しながら登る。
夜叉が池は人でいっぱい、さっと数えても50人以上は確実、池の周りの休憩できる場所はそれほど広くないが、ほとんど占領されていて、シートを広げる場所をかろうじて確保。
さてと、コンロを出して、焼餅と紅茶でも入れて宴会をと思いきや、コンロを出した瞬間に、後ろから「コンロは駄目です!」と注意される。
コンロを出そうとしていたすぐ後ろに、パトロールの人がいたらしい。
しょうがなく、コンビにで買ったおにぎりとペットボトルのお茶で。モソモソ昼食となりました。
せっかくなので、パトロールの人に、三周ヶ岳までの所要時間を聞くと、往復3時間だと。
同行者が、山登り(?)初めての人だったので、あきらめて下山することになりました。
三周ヶ岳は、山岳会の50山ラリーの山だったので、登りたい気もあったのだが...
登山口までくる途中で立ち寄ったトイレのそばにいた、地元のおばさんが明日は必ず雪になる!と断言していたが、今日夜叉が池のライブカメラをみたら、真っ白でした。
コレでは、ヤシャゲンゴロウも冬眠に入りますかね。
紅葉の季節は駐車場がいっぱいで近づけないと、事前に脅されていたので、6時半に集合出発。
名神高速を大垣で降りて、247号線から303号線をどんどん山の中へ、大垣ICからでも1時間半くらい、こんなに山の中へ来たかと思っても、人家がたくさんある。
思ったほどは駐車場も込んでいず、無事車を止めて、いざ夜叉が池へ。
登りはそれほど大変でもなく、夜叉壁だけはちょっと注意しながら登る。
夜叉が池は人でいっぱい、さっと数えても50人以上は確実、池の周りの休憩できる場所はそれほど広くないが、ほとんど占領されていて、シートを広げる場所をかろうじて確保。
さてと、コンロを出して、焼餅と紅茶でも入れて宴会をと思いきや、コンロを出した瞬間に、後ろから「コンロは駄目です!」と注意される。
コンロを出そうとしていたすぐ後ろに、パトロールの人がいたらしい。
しょうがなく、コンビにで買ったおにぎりとペットボトルのお茶で。モソモソ昼食となりました。
せっかくなので、パトロールの人に、三周ヶ岳までの所要時間を聞くと、往復3時間だと。
同行者が、山登り(?)初めての人だったので、あきらめて下山することになりました。
三周ヶ岳は、山岳会の50山ラリーの山だったので、登りたい気もあったのだが...
登山口までくる途中で立ち寄ったトイレのそばにいた、地元のおばさんが明日は必ず雪になる!と断言していたが、今日夜叉が池のライブカメラをみたら、真っ白でした。
コレでは、ヤシャゲンゴロウも冬眠に入りますかね。
2009年10月15日
鏡平登山
10月10日、鏡平へ登りました。
鏡平への登山中は、曇りの天気だったが、深夜にはよく晴れ、カシオペア座や白鳥座、そして天の川がよく見えた。
翌朝は、6時50分過ぎころ、槍ヶ岳の南、大喰岳のあたりから朝日が昇った。
朝日が登る前、槍ヶ岳から穂高岳にいたる穂高連峰のシルエットをくっきりと見ることが出来た。
鏡平への登山中は、曇りの天気だったが、深夜にはよく晴れ、カシオペア座や白鳥座、そして天の川がよく見えた。
翌朝は、6時50分過ぎころ、槍ヶ岳の南、大喰岳のあたりから朝日が昇った。
朝日が登る前、槍ヶ岳から穂高岳にいたる穂高連峰のシルエットをくっきりと見ることが出来た。
2008年08月14日
マツムシ草ー霧が峰は秋の風
今日は、知人と一緒に車山へ行ってきた。
車山は、毎年1回以上は行っている。
7月に行くと、黄色いニッコウキウゲが一面に咲いているのを見られるが、8月に入ってしまうと、ニッコウキスゲはまったく見られなくなり、薄紫色のマツムシ草が咲くようになる。
ビーナスラインを遠望しながら、車山肩から車山頂上を目指すと、赤紫のヤナギラン、可憐なハクサンフウロ、薄水色のツリガネニンジン、背の高いシシウド、ノアザミなどさまざまな花が目を楽しませてくれる。
山肌をわたってくる風は、さわやかで、すでに秋の気配を感じさせる。
北京オリンピックでは、なでしこジャパンが強豪ノルウエーに快勝。 テレビで見ていたが、次々とゴールを決め、安心してみていられた。
完敗の反町ジャパン、初戦キューバに敗北の星野ジャパン、不振・不安の日本男子と比べて、なでしこの頼もしいこと。
がんばれ、なでしこ!!!
2008年07月26日
ショウキラン、ギンリョウソウー涸沢
またまた、涸沢で見た花だが、美しいというより、ちょっと変わった花を二つ。
まず、これは「ショウキラン」、無葉蘭で葉がない。小さな花で、色はきれいだが花茎を見るときのこみたいで、奇妙な感じだ。
こちらは、花も茎も、白いとうか透き通るような感じだが、きれいと言うより気色悪い雰囲気だ。
「銀竜草(ぎんりょうそう)」、またの名を幽霊草という。
咲いている場所も、日のあたらない、ジメっとしたところだ。
山に登って、道に迷ったり、夕暮れてきて、薄暗くなったのに、まだ山小屋にたどり着けないときに、こんな花を見たら、余計心細くなってしまうかもしれない。
山には、いろんな花が咲いている。
まず、これは「ショウキラン」、無葉蘭で葉がない。小さな花で、色はきれいだが花茎を見るときのこみたいで、奇妙な感じだ。
こちらは、花も茎も、白いとうか透き通るような感じだが、きれいと言うより気色悪い雰囲気だ。
「銀竜草(ぎんりょうそう)」、またの名を幽霊草という。
咲いている場所も、日のあたらない、ジメっとしたところだ。
山に登って、道に迷ったり、夕暮れてきて、薄暗くなったのに、まだ山小屋にたどり着けないときに、こんな花を見たら、余計心細くなってしまうかもしれない。
山には、いろんな花が咲いている。
2008年07月25日
マタタビの花ー涸沢
これも、涸沢からの下山道で見つけた「マタタビの花」。
白いかわいらしい花だ、形はすずらんなどにも似た釣鐘型である。
このはなは、葉が茂っていて、その下側にさいているので、見つけにくいし、写真も撮りにくい。
花の下側へカメラを差し出して写すのだが、液晶画面やファインダーがのぞけないので、大体の感覚で撮るのだが、うまく真ん中へ収まらなくて苦労した。何回シャッターを押しても、下の写真のようになってしまう。
我が家のミシェル君に、お土産にしたかったが、実はなっていなかった。
ところで、マタタビの葉は、一部白くなっているが、なぜだろう。
2008年07月25日
エンレイソウー涸沢
前記事のキヌガサソウの近くで見かけた「エンレイソウ」。
葉は大きいが、花は形も色もとても地味なものだ。
漢字では、「延齢草」と書く。
この仲間は毒があるというが、食べ過ぎや食あたりに根を煎じて飲むと直ったらしい。
それで、「延齢草」という名前がついたのだろうか?
白い花がつくものや、もっと大きな花がつくものも同じ種類にある。
2008年07月23日
キヌガサソウ 涸沢
この連休に、涸沢まで行ってきた。
横尾から涸沢へ登る途中、本谷の沢を離れ、涸沢の沢を登り始めたあたりで「きぬがさそう」を発見した。
こんなにきれいに咲いているのは、今回初めて見る事ができた。
宿(徳沢園)も、涸沢ヒュッテも満員だったが、昨年の秋(紅葉の時期)に比べれば、登山道もそれほど混雑してはいなかった。
横尾山荘がまだ工事中で、60人しか収容できない状態なので、その分他の小屋が込んでいたのだろう。
秋に真っ赤な実と紅葉した葉で、谷を彩っていたダケカンバは、いまは白い花を咲かせていた。
キヌガサソウの全体をみたところ。花は、8枚ほどの大きな葉が開いている先に白い花が浮き上がるように咲いている。
花の色は、時間の経過とともに、ピンク色か薄緑色へと変わっていくそうだ。
2008年07月15日
大鼠山 子年に鼠の山に登る
いまさらだが、今年は子年ということで、鼠の山に登ってきた。
例によって、山の会の企画で連れて行ってもらったのだが、行く前はあまり気に留めていなかったのだが、行くバスの中で話を聞いて、意味がわかって来た。
そういえば、来年は牛年、再来年は寅年と干支の動物の名前のついた山がありそうだ。
十二支の名前のついた山が全部あるのかな? 巳年で蛇の名のついた山もあるのだろうか?一度ゆっくり調べてみようか。
ところでこの山、リーダーは、子年なので少しは入山者があるのかと予想していたそうだが、あまりなさそうな様子だった。
登山口から、いきなり薮こぎで、ほとんど踏み跡のない林の中を登らされた。
リーダーがルートファインディングしながら慎重に登ったので、途中でやっと登山道に出ることができた。
ところが、この登山道も一応踏み跡があり、登山道とはわかるのだが、道の両側は林、足元は笹が腰まで生えていて、見晴らしも利かないし、全体に暗い雰囲気だ、おまけにその日は雨まで降っていた。
それでも、途中で笹ゆりが何本か咲いているのを見て楽しむことができた。
また、登山道の脇のところどころに、白くうすぼんやりとした、なんとも奇妙な花が咲いていた。
銀竜草である。またの名を幽霊草。確かに薄気味悪いような感じのする花だ。
子年にちなんだ登山だったが、たぶん一人では登らないし、登る気にもならない山だった。
でも、そんな山に登れるのが、この山の会のいいところかも知れない、
2008年06月03日
恵那山にヘリの残骸を発見
1昨日(6/1)に恵那山へ登ってきた。
山頂を越えて、下山に入ったところあたりで、大きな金属の破片を発見した。
同行者たちは、墜落したヘリの破片といっていたが、固定翼機のフラップのような部分があり、少し疑問を持った。
今日、ネットを調べると、昨年のほとんど同じころ(2007/6/2)に東邦航空のヘリコプターが恵那山中に墜落し、続けて穂高でも墜落し、一時運行を見合わせるとの記事が出てきた。
やっぱりヘリコプターだったのかと思いつつも、さらに調べると、その後に、2007年11月15日にも、こちらは小型固定翼機が墜落している。
一緒に登山していた人は、登山道の近くに墜落したので、救助の人も少しは楽だったねなどといっていたが、こちらの墜落事故の記事を調べていたら、怪我人は飛行機に乗っていた人だけでなく、登山中の人が墜落してきた飛行機に倒された木にあたって、手に軽い怪我をしたと書いてあった。
山中への墜落とはいえ、こんなこともあるのだなあ。
登山していた人は、いきなり飛行機が登山道に向かって墜落してきて、よほど驚いたのではないだろうか。
一昨日は、いい天気で、太陽の日差しは真夏を思わせるように強かった。
雲が出ていて、見晴らしはあまりよくなく、普段なら見える御岳や南・中央アルプスの山並みはほとんど見えなかったが、天空高くには、飛行機雲が大きな空を真っ二つに切り裂いて横切っていた。
2008年03月25日
天空遊歩道、位山から川上岳
「天空遊歩道」という素敵な名前の山へいってきた。
名古屋から、JR高山線や41号線で高山市へ向かうと、その少し手前に宮峠があり、ここが太平洋側と日本海側へ流れる水を分ける分水嶺となっている。
この宮峠の西に、位山、船山、川上岳と呼ばれる三つの山がある。
最後の山の名前は、川上岳と書いて「かおれだけ」と読む。
この三つの山には、いろいろの神話があり、由緒のある山らしい。位山の頂上近くには、「天の岩戸」と呼ばれる巨岩があったり、高天原といわれる場所もあるらしい。
坂口安吾の本にも、この位山、船山について触れたものがあったりする。
この位山から、川上岳に連なる尾根が「天空遊歩道」と呼ばれている。
2007年10月11日
(続)入傘山にはトリカブト
入傘山と書いて、「にゅうがさやま」と読むそうだ。
この山の登山路で、紫色のきれいな花を見た。
トリカブトだ。濃い青色と紫色の間のような色で、ソラマメを縦にしたような形をしている。
前に、涸沢から北穂高岳への登山路で群生しているのを見たことがある。やはり10月のはじめだった。
昔、保険金詐欺事件で殺人に使われてその名が有名になったが、山中ではごく普通に咲いているし、きれいな花の部類だ。
頂上にある三角点。頂上の立て札には、1995mと書いてある。
頂上近くに駐車場があり、そこからなら30分程度で登れるからか、小さな子供をつれた家族の姿も見かける。
翌日、訪れた「小さな絵本美術館」のベランダには、立派なツリーハウスがあった。
2007年10月10日
入傘山はマウンテンバイクのメッカ?
この連休(日曜、月曜)に入傘山に登ってきた。
中央高速の諏訪南で降りてすぐ、山域としては南アルプスに近い場所で、標高1995m、山腹途中までゴンドラがあるので、のぼりは1時間ちょっとで頂上につける手ごろな山だ。
今回初めて登るまで知らなかったのだが、ここは(入傘山というよりその登山口にあたる富士見パノラマスキー場)、マウンテンバイクのメッカのようだ。
冬はスキー場になっているゲレンデが、マウンテンバイクのダウンヒルコースとなっていて、プロテクターで厳重に身を守ったライダーたちが、急な下り坂を次々と下っていた。
プロテクターを身に着けた姿は、ロボットみたいに見える。
ゴンドラも、山頂駅までマウンテンバイクを載せていけるように、普通のゴンドラより大きく作ってあるし、マウンテンバイクを載せたときシートが汚れないようにビニールをシートにかけるような工夫までされている。
ゴンドラで、山頂駅まで10分かかるので、マウンテンバイクで下まで降りるのには30分とか40分とか、あるいはもっと時間がかかりそうだ。
でも途中でこけたら、そのままかなり下まで滑り落ちそうだし、下手するとコースを外れて谷まで落ちそうで見ていても、怖くなってくる。
2007年09月26日
弥勒山
今日、一人で弥勒山に登ってきた。
先日妻と二人で登りに出かけたのだが、妻が体調を崩し、途中で引き返してしまったので、今日はリベンジで登ってきた。
頂上には、中(高?)年の男女二人連れがいて、シジュウカラが餌(ピーナッツ)を食べに来るといって、しばらく待っていたが、なかなかこないので、やがてあきらめてかえっていった。
ここは、春日井市植物園の横から30分程度で登れる山なので、足ならしにちょうど良い山だ。
頂上からは、春日井市役所や中部大学が見えるが、遠くにはJR名古屋駅のタワーや最近できたミッドランドスクエアなどの高層ビルが眺められる。
標高は、437メートル。標識(写真の下の方にある十字の付いた石)の横側には二等三角点と書いてあった。
定光寺から、この山を通り内津峠へ出る登山路があるので、いつか歩きたいと思っている。
写真は、頂上直前の急な登り坂。多くの山では、頂上の手前に肩と呼ばれるところがあり、そこから頂上までがきつい登りになっていることがよくある。この登りが大変つらい。ずいぶん登ってきたあとなので。
でも、この急な坂のおかげで、頂上では見晴らしがきき、眺めがよい。
一昨年、名前につられて登った大菩薩峠(頂上は大菩薩嶺)では、頂上までなだらかに続いていた代わりに、眺望がまったくきかなくてがっかりした。
2007年06月06日
ここから先はけものみち?南木曽岳登山
先日、山岳会の山行で南木曽岳に登山した。
2月以来ひざを痛め、予定していた登山を中止していたが、南木曽岳なら何とかなる〈標高1600いくつ)かなと思い、参加した。
総勢20数人なので、チーフリーダーが3つの班に分けて登ることになり、わたしは1班となった。
1班が先頭で登山することになり、1班のリーダーが皆を率いて登っていった。
林道から登山道に入り、途中で橋を渡ったのだが、腐りかけの橋でわたるのがこわいような橋を渡った。
ちょっと不安を感じたが、別のグループ〈2人組)で前を行く人もあり、大丈夫かと思いついていったのだが、途中からかなりブッシュ(ヤブ)がひどくなり、むちゃくちゃ急な坂を登り、だんだんあまり人が通っていないような道になってきた。
とうとう進めなくなり立ち往生の状態になってしまった。前をすすんでいた二人組も引き返し始め、結局林道までもどる羽目になってしまった。
林道をさらに進むと、りっぱな登山道が現れ、先に迷い込んだ道は廃道だったことが判明した。1時間近くのロスとなった。
帰りのバスの中では、「いい経験だった」「教訓になった」などの発言が相次いだが、通常我々が登るような登山道は、十分踏み跡があり迷うような道は通らないはずである。
リーダーの経験不足が原因と言うことになるが、仮のリーダーではあったが、数年前に登山を始めたひとだった。(全体のリーダーは別の人で、その人はすでに下見済みで正しい登山道がわかっていたが、様子を見ると言うことで黙っていたらしい)
最近は、定年が近づいたり、定年になったりして登山を始める人も多いが、誰かに連れられて(あるいは登山教室などで)数回登山をしただけで、登山がわかったようになってしまう人もいる。
確かに、天候が良かったり、わかりやすい登山道だったりすれば、何の危険もないように感じてしまうが、山はそれほど甘くはない。
心したいものである。
ここの登山道には、金太郎が産湯をつかったと言う池があった。(上の写真がその池、したの写真が説明の看板)
この日は、天候は良かったが、黄砂がひどくいつもなら見える御岳や乗鞍岳などがまったく見えず、残念だった。
2007年02月25日
風越山 ロープ登攀
伊那の風越山へ行ってきた。
天気もよく、南アルプスの山並みが北から南まですべて見えた。
山岳会の技術山行と言うことで、雪の登山路でのピッケル、アイゼンの使い方、ロープを使った急斜面の登攀と懸垂下降の仕方を教えてもらった。
さらに、頂上近くのやせた尾根道ではアンザイレン(メンバーがロープでつなぎあって登る)の経験もすることができた。
標高1,500メートル程度の山だが、ガリガリに凍った登山路や急斜面、やせた尾根道など、気を許せない危険箇所もあり、面白い山だった。
また、途中の見晴台では、南アルプス、恵那山がよく見えるし、遠くには八ヶ岳連峰の姿も望むことが出来る。
登山者は少なく、わがチーム以外には二人の登山者しかいなかった。
写真は、ロープによる登攀の様子。リーダーが先に登り、上からたらしたロープに自分のハーネスをブルジットで滑り落ちないように確保しながら登る。
2007年01月31日
仙人湯 水平歩道(仙人池 裏剣その3)
これが仙人湯である。手前のビールと比較してほしいが、家庭のバスタブと同じくらいの大きさで、もちろん同時には一人しか入れない、水溜りのようなお風呂である。
お湯は、深い緑色と灰色の中間のような色で濁っている。
また、衣服の着脱は、風呂の手前の板の上でするのだが、囲いも何にもないので、女性には入りにくいかもしれない。
そんな温泉だが、山の中で何日もお風呂に入らない生活をしているし、日中登ったりして汗をかいてもそのままでなので、温泉に入れるのは極楽へ来たように感じる。
仙人湯から欅平(から宇奈月温泉へ)へは、まず仙人湯から阿曽原温泉までくだり、阿曽原温泉から欅平までは、黒部峡谷沿いに「日電歩道」と呼ばれる道をゆく。
「日電歩道」は「水平歩道」ともいい、ほとんど水平で、アップダウンがない道だ。アップダウンがないということで、歩るのは楽である。
が、写真で見るように、切り立ったがけに「コ」の字型に岩をうがって作った道で、道幅も60~70センチほどしかない。そこで足を踏み外すと、数百メートル下の黒部川にまっさかさまに落ちてしまう、とてもスリル満点の道だ。
この道は、もともとは登山者のためではなく、黒部ダムを作るための資材を運ぶために、戦前に作られた道なのである。
戦前には、大町から入る黒部アルペンルートがまだ開発されていなかったので、黒部川沿いに資材を運んだのである。
たぶん、資材を運んだ人夫で足を踏み外し荷物もろとも谷へ落ちた人もたくさんいたのだろう。
そのあたりの話は、宇奈月温泉にある資料館に詳しく展示してある。
この道を下ると、欅平に着くのだが、欅平へ着く直前のしじみ坂で、一気に高度を下げる。
その後は、黒部峡谷鉄道で1時間40分かけて宇奈月温泉に到着する。
黒部ダム、または立山から欅平(宇奈月温泉)にいたるコースは、かなり厳しいルートなのだが、NHKなどで放送されてからは、その美しさにあこがれて来る人が増えたようで、途中の阿曽原温泉小屋は、シーズンには定員の倍くらいの人が訪れ大変な混雑となる。
2007年01月28日
仙人池 裏剣 その2
室堂から途中剣沢小屋で一泊し、アップダウンを繰り返して、6時間ほど歩くと仙人池につく。ここには、仙人池小屋があるが、小屋主は70代の女性である。小屋の南に仙人池がある。池はそれほど大きくないが、ここから見える剣岳の異形が池の水面に映る。それを狙って、大きな本格的なカメラと三脚を持った人が、たくさん集まっている。
確かに、ここから望む剣岳は、いくつものピークが連なり、表(西側)から見る剣岳とは、まったく異なる姿を見せてくれる。
ピークとピークの間の谷には、秋になっても前年の雪渓が残り、近寄りがたい雰囲気を漂わせている。 冒頭の写真は、「三の窓雪渓」である。
私は、あえて仙人池小屋での宿泊を避け、さらに歩いて下った仙人湯小屋に泊まることにした。
仙人湯小屋は、谷間にあるため、もう剣岳をはじめとする3000メートル級の山の姿を望むことは出来ないが、代わりに温泉がある。
ほとんどの山小屋にはお風呂などないので、山の中にいる間は、何日も入浴はできない。そこで、下山すると最初に下山地の近くの温泉へ行き、山行の汚れを落とすのが、いつもの行動パターンである。
だから、山小屋に温泉があると、これほどうれしいことはない。
ここの小屋の小屋主から聞いたのであるが、この小屋は売りに出ていたので最近購入したとのことである。購入したときの値段も聞いたのだガ、残念なことに忘れてしまった。ただ、自分にも無理をすれば買える値段だったと記憶している。
2007年01月27日
仙人池 裏剣(うらけん)
昨日の夜と今日のお昼にNHKテレビで、黒部峡谷の映像を映していた。
私は、ちょうどテレビでやっていたと同じようなコースを2年前に歩いたので、そのことを書いてみようと思う。
北アルプス核心部立山の北に、雪と岩の殿堂といわれる剣岳がある。
富山に住んでいた時期には、いつも剣岳・立山連峰を眺めていたが、これは剣岳を西側から眺めていたことになる。西側から見た剣岳は美しい。ところで北アルプスの東側というと長野県ということになるが、長野県側からは、通常剣岳を見ることは出来ない。というのは、剣岳の東側には白馬岳などの後立山連峰がそびえており、剣岳などの立山連峰をさえぎっているからだ。
したがって、剣岳を東側から見るためには、立山連峰と後立山連峰の間に分け入らなければならない。その立山連峰と後立山連峰の間にあるのが黒部峡谷だ。
黒部峡谷へ入るのは、黒部ダムからか、室堂からか(これはいわゆる黒部立山アルペンルート)、あるいは、宇奈月温泉からの3つとなる。黒部立山アルペンルートはハイヒールでも行けるが、その先は、それほど簡単ではない。
だから、どこのルートから行くにしても、それなりの登山の経験ガ無いと入ることは出来ないし、少なくとも2泊3日以上山の中を歩くことを覚悟しなければならない。
だが、その代わり東側から見た剣岳の、これを裏剣(うらけん、うらつるぎ)というが、日本離れした「雪と岩の殿堂」と呼ぶにふさわしい景観を見ることが出来る。
特に東側から見た剣岳の景観の白眉は、仙人池から見た裏剣である。
私が行ったときは、天気がよくこの裏剣を堪能することが出来たのだが、台風が近づいていたので、1週間くらい山の中にいるつもりだったのを、4日目には帰ってきてしまった。
私の使ったルートは、富山から黒部立山アルペンルートで、室堂へゆき、そこから剣沢をとおり、仙人池で景観を楽しみ、仙人湯、阿曾原温泉、黒部下の廊下、欅平、宇奈月温泉、そして富山へ出て帰ってくるというコースだった。
写真は、欅平と宇奈月温泉をつなぐ猿飛峡を走るトロッコ電車である。
このコースは、すばらしく美しく、感動的なところがいっぱいあるが、長くなってきたので、また明日にでも、詳しい見所などを書くことにしよう。