2007年08月08日
国後島
北海道は3度目だ。一回目は新婚旅行、2回目は仕事で出張。
新婚旅行のときは、札幌、登別、2回目は、札幌の町と小樽。
札幌の町ではラーメン横丁、札幌ビール園、すすきの。小樽はニシン屋敷見学。
札幌から小樽までの鉄道が海沿いを走り、夏なのに、名古屋近辺では考えられないほど、閑散で静かな海岸、海水浴向きのきれいな海岸なのに、人気(ひとけ)がほとんどなかった。でも、その静かできれいな海岸が、すごく印象的だった。
北陸にいたときに行った島尾海岸(氷見市)は、北海道のそれほどではなかったが、知多半島や敦賀の海水浴場に慣れている私にとっては、こんな人が少ない海水浴場というものがありうるのかというような感じだったが、昨年の全国のきれいな海水浴場の5位以内に入っていたので、なるほどと思ったものだ。
ところで、そんなわけで3回しか北海道に入ったことがないし、それほど詳しくもなかったのだが、ロシアに占拠されている北方領土4島は、何の疑いもなく北海道の北側にあると思い込んでいた。
実際には、北方領土は北海道の東側にあることを、改めて知った。
しかも、北海道の東の海岸から15キロしか離れていないとは。
これでは、確かに日本の領土ではないことを不自然と考えてなんらおかしくないわけだ。
1枚目の写真で、海(雲のようにも見える)の向こう側に、黒い帯のように見えている島が国後島だ。
知床峠(知床半島のなかほど、羅臼岳の中腹に位置する)から見た。ここからは50キロほどか。
2007年08月07日
網走刑務所
道東ではおなじみの見学コース、網走刑務所(実際は博物館網走監獄、財団法人が運営している)へ、旅行社の日程の都合で1時間30分間と、じっくり見学することができた。
監獄ということで、あまり気持ちのいい場所ではないのだが、写真のように天窓があり、太陽の光が明るく差し込んでいたのには、ちょっと意外な感じがした。なぜか、暗くじめじめして光も差さないような場所をイメージしていたので。
とはいえ、説明では雑居房などは6畳の部屋に6人で、その6畳にはトイレも含まれているそうで、繁忙期(夏山)の山小屋並みの窮屈さが365日続くのは、相当のストレスだろう。
博物館網走監獄の説明員(きれいな女性だった)やバスガイドの説明では、北海道では道路工事や硫黄の採掘の人足として、監獄の犯罪者たち(政治犯や明治時代には反乱した士族たちも多い)が非人間的に使われたそうで、戦前の天皇制政府の非人道的な体制の一面を見せられた気がした。
網走から知床方面へ向かう鉄道の途中にある北浜駅。
高倉健さん出演の映画をはじめ、いろいろな映画のロケで使われている駅だそうだ。
この先には、原生花園駅があった。バスの中からだったので、いい写真がとれなかったが、ニッコウキスゲに似た黄色い花が沢山咲いていたが、エゾキスゲという名前だと説明された。
鉄道は海辺を走っているので、海抜数メートルなのだが、咲いている花は、長野県あたりの1500mから2000m当たりの高山に咲くような花が咲いていた。よく知らない観光客は、この原生花園へ来て、お花ってこれだけですか、と聞くらしいが、アルプスなどの登山の時と同じような話だなと思った。
初めて山に登った登山者も、みんな例外なくお花畑を目の前にしていながら、どこにお花畑があるんですかと聞く。
お花畑や(原生)花園と聞くと、公園の植え込みのような人工的的に栽培された花園(はなぞの)をイメージしてしまうのだろうか。お花畑、(原生)花園といっても、自然に咲いているものなので、美しいくかわいらしく咲いているのだが、人間様が見るため(に見られるために)にきれいに整理されて、咲いているわけではない。 だからこそ、価値があるのだけれど。
そういえば。網走刑務所のすぐそばで昼食をとったのだが、そのあと、映画「幸せの黄色いハンカチ」で、刑務所から出所したての高倉健さんふんする主人公がラーメンを食べたラーメン屋を探したが、結局見つからなかった。あれは、やっぱり映画の中だけの虚構だったのかな。ちょっぴり残念。
2007年08月06日
知床
夏休みとして、知床へ行ってきた。
ハマナスの花は、すでにさかりを過ぎていて、まともに咲いている花を探すのには苦労したが、きれなピンク色をしていた。
電話で聞いた事前の話では、現地の昼間の気温は25度とのことだったが、空港へついたとたん今日の気温は15度だといわれ、半そで半ズボンの衣装は、その場で着替えさせられた。
山間の小さな川へ連れて行かれ、サクラマスの遡上を見せてもらった。
川幅10m程度で、水深も1mあるかないかのちょっとした川で、この川をサクラマス(いわな)が産卵のために、川を上流へさかのぼる。
ところが、この川には段差(小規模の滝)があり、遡上するサクラマスにとっての最大の難所となっている。段差は、たぶん3mもないほどだが、全長数十cmほどのサクラマスが勢いよく流れ落ちる水の流れと重力に逆らって川上へたどり着くのは大変だ。
われわれが見ている前で、次々とジャンプし滝登りに挑戦するのだが、成功は百回に1回もない。われわれが見ていた間(20分くらいか)には、一匹も成功しなかった。が、けなげに何度も挑戦する姿を見ていると感動すら覚えてくる。
この何度も挑戦している娘たちの親は、この段差を克服してさらに上流へ遡上したエリートなのだ。こんなエリートは一日に数えるほどしかいないそうだが、偉大な親を持つ娘たちのほうは大変だ。
写真には、魚の姿が映っていないって! 私がもっているデジカメでは、残念ながらシャターのタイミングが遅れて何度シャッターを押しても、ジャンプする魚の姿を捉えることはできなかったのだ。
ビデオで撮ればよかったのだが、そう気がついたときは後の祭りだった。
2007年05月08日
白馬岳と春スキー
連休の白馬八方スキー場。
ゴンドラとクワッドリフトで登った八方尾根の中腹のレストランから撮影。
春スキーを楽しむ人たちと、背景となっている白馬岳、白馬鑓の雄姿を写した。
3年ほど前に、白馬大雪渓から白馬岳に登り、日本最大の山小屋、白馬山荘に宿泊し、白馬大池をめぐって、栂池に下山したことがある。
その年の白馬大雪渓はクレバスが多く、例年ほど美しくはなかったが、雪渓を上り詰めたお花畑では、極北の地に咲くというウルップ草を見ることや、こまくさの群生を見ることが出来た。
白馬大池の水は、神秘的なほど澄みとおり、池の傍の岩の登山道もたのしいものだった。
同じ北アルプスと言うくくりの中にあっても、南のほうにある穂高岳や槍ヶ岳と、北のほうにある白馬岳では、山のありようも楽しさもまったくちがっている。
今年は、その時いった栂池自然園へ行こうとリフトの乗り場まで行ったが、自然園はまだ雪の中でスキヤーやスノーボーダーたちの世界だ言うことで、しょうがなく断念、猿倉へ行く途中にある露天風呂(おびなたの湯だったかな?)へ入浴して、宿へ帰ってきた。
翌日は、姫川源流、親海(およみ)湿原の散策、レンジャーでもある民宿の主人の案内と説明で、いろいろと教えていただく。(このあたりの草木について)めちゃくちゃ博識な人で、次々と教えてくれるが、覚えきれず消化不良気味。
姫川源流は、源流と言う名前に神秘さを覚えたが、民宿から15分でいけるようなところで、はるかむこうにではあるが人家まで見える場所。ちょっと拍子抜けも。
昔行った「黒部源流」などは、途中山小屋で2泊もしないと到着できない場所だったのに。
写真は、湿原の水中に生えている猛毒のなんとかセリ、これで数人の人が殺せるとかなんとか?
2007年05月05日
連休なにしてましたか?
3日になって、どっかへ行こうと思いいろいろ当たってみましたが、どこも満室で部屋が取れず、白馬の、わでやしきという民宿に泊まりました。
なぜ、そこにしたかと言うと、インターネットでみたら、萱葺きのやねだったからです。行った日はいろりで炉端焼き、こごみのおひたしと、山菜の天ぷら山ほど。
朝食も、オムレツ、サラダ、紫米のご飯、煮物、ノリ、漬物、味噌汁、デザートの杏仁豆腐と、なかなか豪華。
食事の後、9時半ごろから、民宿のご主人に姫川源流自然探索公園へ、連れて行ってもらいました。とても植物に詳しいご主人で、自然観察のガイドをしていらっしゃる方で、花の名前はもちろんのこと、タンポポがどうしてこんなに増えているのか、タンポポは単性生殖(こういう字でしょうか?)で、増えるとか、毒のある植物とか、さわらとヒノキの違いだとか、本当に細かい説明でした。
その上、宿に車を置かせてもらって歩いて散策に行ったので、車を取りに帰って、知らん振りもなんだからと、奥様に「有難う御座いました。」とごあいさつしたら、「ちょっと待ってください。今冷たいお茶を持ってきますから、すわってください。」とおっしゃって、ゴマプリンと、フルーツを盛ったデザートと、冷たいお水を用意していただきました。
こんなにしてもらっていいのかしら・・・もじもじ。しめて代金は、一人6500円と、格安。 なんだか田舎の親戚に行ったようなとてもアットホームなところが、GOODでしたよ!!
なぜ、そこにしたかと言うと、インターネットでみたら、萱葺きのやねだったからです。行った日はいろりで炉端焼き、こごみのおひたしと、山菜の天ぷら山ほど。
朝食も、オムレツ、サラダ、紫米のご飯、煮物、ノリ、漬物、味噌汁、デザートの杏仁豆腐と、なかなか豪華。
食事の後、9時半ごろから、民宿のご主人に姫川源流自然探索公園へ、連れて行ってもらいました。とても植物に詳しいご主人で、自然観察のガイドをしていらっしゃる方で、花の名前はもちろんのこと、タンポポがどうしてこんなに増えているのか、タンポポは単性生殖(こういう字でしょうか?)で、増えるとか、毒のある植物とか、さわらとヒノキの違いだとか、本当に細かい説明でした。
その上、宿に車を置かせてもらって歩いて散策に行ったので、車を取りに帰って、知らん振りもなんだからと、奥様に「有難う御座いました。」とごあいさつしたら、「ちょっと待ってください。今冷たいお茶を持ってきますから、すわってください。」とおっしゃって、ゴマプリンと、フルーツを盛ったデザートと、冷たいお水を用意していただきました。
こんなにしてもらっていいのかしら・・・もじもじ。しめて代金は、一人6500円と、格安。 なんだか田舎の親戚に行ったようなとてもアットホームなところが、GOODでしたよ!!
2007年01月10日
雨晴海岸と剣岳
能登半島の根元、高岡市伏木地区にある富山湾に臨む海岸。昔、義経と弁慶が落ち延びてゆくとき雨宿りし、雨が晴れるのを待った岩があるので、この名前がついた。「あまはらし海岸」と読む。海の向こう側に3000メートル級のやまなみが見えるのは、世界でも珍しいとか。3年ほど前のちょうど今頃、富山県に単身赴任していた時にこの景観を撮影した。「雨晴海岸と剣岳」と文字が入っている場所は、カメラによる撮影日付が入っていたので、文字を上書きしたものだ。
富山県は、「弁当は忘れても傘は忘れるな!」といわれるように、晴天が続くことはすくなく、晴れていても数時間単位で天候が変わり、すぐ曇ってしまう。特に剣岳などの立山連峰がはっきり見える日は、年に数えるほどしかない。空気がすんでくる冬の間、1月から2月の間くらいが写真が撮れるほんの短い期間となる。
その後毎年、何度も北陸には足を運んでいるが、今年も蟹を食べに行きたいと思っている。
富山県は、「弁当は忘れても傘は忘れるな!」といわれるように、晴天が続くことはすくなく、晴れていても数時間単位で天候が変わり、すぐ曇ってしまう。特に剣岳などの立山連峰がはっきり見える日は、年に数えるほどしかない。空気がすんでくる冬の間、1月から2月の間くらいが写真が撮れるほんの短い期間となる。
その後毎年、何度も北陸には足を運んでいるが、今年も蟹を食べに行きたいと思っている。
2006年12月29日
ソウル ヨンさま靴下
ソウルの西大門の横丁を歩いていたら、「ヨンさま靴下」を売っていた。面白かったので、数足購入してきた。
よく見ると、ローマ字で「Yonsama」と書いてある。
ということは、もちろん日本人向けに作ったということだろう。
帰国して、ヨンさまファンの人に上げたが、やはり靴下として足に履くようなことは出来ないそうだ。
飾っておくらしい。
よく見ると、ローマ字で「Yonsama」と書いてある。
ということは、もちろん日本人向けに作ったということだろう。
帰国して、ヨンさまファンの人に上げたが、やはり靴下として足に履くようなことは出来ないそうだ。
飾っておくらしい。
2006年12月28日
ソウル 円ーウォン換金レート
ソウル旅行で悔しかったこと、それは両替に失敗したこと。ソウルへ行く前に、旅行代理店で現地の通貨への換金について聞いたところ、現地へ行ってから換金すればよいといわれたのだが...出発の朝、ソウルへ着いたばかりのときに現地の通貨が一銭もなくては困ると思い、ついセントレアの三菱東京UFJ銀行で数万円をウォンに換金してしまった。ところが、細かいお金(硬貨など)もほしかったのに、10,000ウォン単位までしか換金してくれず、仁川空港へ着いて電話をすることになったとき、また空港の両替所で10,000ウォン札を硬貨に崩してもらわなければならなかった。
その後、現地の町の両替屋で換金したり、食事をしたときや、買い物をしたとき、そして現地で使ったクレジットカードの精算(請求)時など、それぞれ換金レートが異なっていた。現地の銀行やホテルでは換金しなかったので、そのあたりのレートは分からないが、自分が換金した中では、三菱東京UFJ銀行の換金レートが一番悪かった。
それぞれのレートは以下のとおり。 (1日本円あたり)
三菱東京UFJ銀行(セントレア出張所) 6.9589 ウォン 1
現地の町(ソウル市内)の両替商 7.7500 ウォン
焼肉屋 7.9000 ウォン
オプショナルツアー代金支払い 7.6190 ウォン
クレジットカード(AMEX) 7.6643 ウォン
これを見ると、三菱東京UFJ銀行の換金率の悪さが一目で分かると思う。
もし、50,000円を両替したら、
三菱東京UFJ銀行だと 347,945ウォン、ソウルの焼肉屋だと 395,000ウォン
その差は 、47,500 ウォンで、日本円にすると 6,000円くらいとなり、1割以上の差だ。
47,500ウォンあれば、写真の韓定食を二人で食べられる。
もし、韓国へ行く人がいたら(韓国には限らないと思うが)、両替には十分注意して、少しでも有利なところで行ってください。
ソウルのインサドンの横丁のレストランで、写真の韓定食を食べたが、とてもたくさん料理が出てきて豪華な感じだった。この写真の倍くらいの種類が出てきた。でも、日本人の私から見ると、どれもみんな同じような味付け(とにかく辛い)で量も多いが、とても完食は出来なかった。
ほかにも、西大門の食堂街(といっても、市場のなかの食堂がならんでいるところ)で食べた食事も焼肉屋も、安くて量が多かった。どれも辛いので、辛いものに弱い人は、おなかの調子が悪くなってしまうから気をつけたほうがいい。
ちなみに、西大門はすごく大きな卸市場のようなところで、金沢の近江町市場を5倍くらいにして、服飾品やかばん、めがね、食品、その他あらゆるものを売っているといった感じのところで、商品も人もあふれているような活気のある場所だった。ソウルへ行く人はぜひ立ち寄ったほうがいいと思う。
ここで、現地の人(店の人)を相手に買い物をするのはすごく楽しい。
その後、現地の町の両替屋で換金したり、食事をしたときや、買い物をしたとき、そして現地で使ったクレジットカードの精算(請求)時など、それぞれ換金レートが異なっていた。現地の銀行やホテルでは換金しなかったので、そのあたりのレートは分からないが、自分が換金した中では、三菱東京UFJ銀行の換金レートが一番悪かった。
それぞれのレートは以下のとおり。 (1日本円あたり)
三菱東京UFJ銀行(セントレア出張所) 6.9589 ウォン 1
現地の町(ソウル市内)の両替商 7.7500 ウォン
焼肉屋 7.9000 ウォン
オプショナルツアー代金支払い 7.6190 ウォン
クレジットカード(AMEX) 7.6643 ウォン
これを見ると、三菱東京UFJ銀行の換金率の悪さが一目で分かると思う。
もし、50,000円を両替したら、
三菱東京UFJ銀行だと 347,945ウォン、ソウルの焼肉屋だと 395,000ウォン
その差は 、47,500 ウォンで、日本円にすると 6,000円くらいとなり、1割以上の差だ。
47,500ウォンあれば、写真の韓定食を二人で食べられる。
もし、韓国へ行く人がいたら(韓国には限らないと思うが)、両替には十分注意して、少しでも有利なところで行ってください。
ソウルのインサドンの横丁のレストランで、写真の韓定食を食べたが、とてもたくさん料理が出てきて豪華な感じだった。この写真の倍くらいの種類が出てきた。でも、日本人の私から見ると、どれもみんな同じような味付け(とにかく辛い)で量も多いが、とても完食は出来なかった。
ほかにも、西大門の食堂街(といっても、市場のなかの食堂がならんでいるところ)で食べた食事も焼肉屋も、安くて量が多かった。どれも辛いので、辛いものに弱い人は、おなかの調子が悪くなってしまうから気をつけたほうがいい。
ちなみに、西大門はすごく大きな卸市場のようなところで、金沢の近江町市場を5倍くらいにして、服飾品やかばん、めがね、食品、その他あらゆるものを売っているといった感じのところで、商品も人もあふれているような活気のある場所だった。ソウルへ行く人はぜひ立ち寄ったほうがいいと思う。
ここで、現地の人(店の人)を相手に買い物をするのはすごく楽しい。
2006年12月24日
ソウルは雪だった。
17日から2泊でソウルへ行ってきた。ソウルは冷え込んでおり、空港は真っ白だった。雪が降ることは年に数日しかないとのガイドの話だが、ちょうどその数日にあたったようだ。雪で白くなったソウルの町は、なかなか魅力的だった。写真は青瓦台だが、中国人の観光客がバスで来ていた。最近は中国やロシアからの観光客が多いそうだ。
2日目の夜、オプショナルツアーで、ソウルの町のナイトツア-へ繰り出したが、ソウルの町は日本以上に電飾が盛んで、どこへ行っても、ホテルの前も、広場も電飾だらけで、きれいというかにぎやかというか、はっきり言うと食傷気味なくらいだった。たまたま同行した「ユンさま」ファンの中年女性4人組は感動しきりだったが、こちらはっちょっとノリ切れない気分だった。
ソウル市内の繁華街インサドンを歩いていたら、いきなり黒い服を着た背の高い、いかつい人間が周りを威圧しながら進んできたので、何が起こったのかと思ったら、周りをSPに固められた長身の、でも顔がぶつぶつの人物が現れた。テレビや新聞で見たことがある顔だと思ったら、ウクライナのユーシチェンコだった。
何かで韓国を訪問し、たまたま市内観光をしていたのだろうか?ちょっと珍しい体験(普通には見れないものを見た)ができた。思わずデジカメで写真を撮ったが、さすが小なりといえど一国の大統領、しかも混乱の中から実力で権力を握った人間だけに、独特のオーラを感じさせられた。
2日目の夜、オプショナルツアーで、ソウルの町のナイトツア-へ繰り出したが、ソウルの町は日本以上に電飾が盛んで、どこへ行っても、ホテルの前も、広場も電飾だらけで、きれいというかにぎやかというか、はっきり言うと食傷気味なくらいだった。たまたま同行した「ユンさま」ファンの中年女性4人組は感動しきりだったが、こちらはっちょっとノリ切れない気分だった。
ソウル市内の繁華街インサドンを歩いていたら、いきなり黒い服を着た背の高い、いかつい人間が周りを威圧しながら進んできたので、何が起こったのかと思ったら、周りをSPに固められた長身の、でも顔がぶつぶつの人物が現れた。テレビや新聞で見たことがある顔だと思ったら、ウクライナのユーシチェンコだった。
何かで韓国を訪問し、たまたま市内観光をしていたのだろうか?ちょっと珍しい体験(普通には見れないものを見た)ができた。思わずデジカメで写真を撮ったが、さすが小なりといえど一国の大統領、しかも混乱の中から実力で権力を握った人間だけに、独特のオーラを感じさせられた。