2007年01月17日
北陸観光案内その2 高岡市伏木地区
高岡市は富山県では、富山市に次ぐ第2の都市だ。この高岡市の伏木地区は、とりわけ古い歴史を持つ地域である。万葉集編纂で有名な大伴家持が国守として5年間を過ごし、この地区を詠んだ歌をたくさん残している。そのころの国府の跡近くに大伴家持とその時代、万葉集に関する展示を行っている万葉歴史館が立てられている。写真は雪の万葉歴史館である。この万葉歴史館の後ろにある山の名前も「二上山」といい、奈良にある山と同じ名前だ。
JR高岡駅から新湊へ行く路面電車の名前も万葉線と名づけられている。なお、万葉線は進行方向は同じだが伏木へは行かない。万葉線ではなく、同じくJR高岡駅から出ている氷見線が、伏木地区を通る。氷見市が藤子A不二雄の出身地であるため、「忍者ハットリ君」の絵を車体に描いた電車が走っている。一方、藤子F不二雄は高岡市出身であるため、高岡市立図書館には、藤子不二雄コーナーがある。
万葉歴史館の近くには、国分寺の跡などもあるが、おとづれる人もほとんどなく、静かなたたずまいとなっている。
大伴家持は、当地で次のような和歌を詠んでいる。
「馬並(な)めて いざ打ち行かな 渋谿(しぶたに)の 清き磯廻(いそま)に 寄する波見に 」
「しぶたに」とは、現在の雨晴海岸のこと。
「もののふの 八十娘子(やそをとめ)らが 汲くみまがふ 寺井(てらゐ)の上の 堅香子(かたかご)の花」
「かたかごの花」とは、カタクリの花のこと。寺井は地名。
「あゆの風 いたく吹くらし 奈呉(なご)の海人(あま)の 釣する小舟(をぶね) 漕(こ)ぎ隠る見ゆ」
「あゆの風」は、「あえの風」ともいい、東から吹く風のことで、この風がふくといいことがあるという。
また、、このあたりの海を奈呉の浦といい、現在も新湊市にその地名が残っている。
高岡市はふるい歴史を持ち、その歴史を大切にしているし、あちこちに落ち着いた雰囲気を残している町である。
万葉歴史館のHP http://www.manreki.com/
JR高岡駅から新湊へ行く路面電車の名前も万葉線と名づけられている。なお、万葉線は進行方向は同じだが伏木へは行かない。万葉線ではなく、同じくJR高岡駅から出ている氷見線が、伏木地区を通る。氷見市が藤子A不二雄の出身地であるため、「忍者ハットリ君」の絵を車体に描いた電車が走っている。一方、藤子F不二雄は高岡市出身であるため、高岡市立図書館には、藤子不二雄コーナーがある。
万葉歴史館の近くには、国分寺の跡などもあるが、おとづれる人もほとんどなく、静かなたたずまいとなっている。
大伴家持は、当地で次のような和歌を詠んでいる。
「馬並(な)めて いざ打ち行かな 渋谿(しぶたに)の 清き磯廻(いそま)に 寄する波見に 」
「しぶたに」とは、現在の雨晴海岸のこと。
「もののふの 八十娘子(やそをとめ)らが 汲くみまがふ 寺井(てらゐ)の上の 堅香子(かたかご)の花」
「かたかごの花」とは、カタクリの花のこと。寺井は地名。
「あゆの風 いたく吹くらし 奈呉(なご)の海人(あま)の 釣する小舟(をぶね) 漕(こ)ぎ隠る見ゆ」
「あゆの風」は、「あえの風」ともいい、東から吹く風のことで、この風がふくといいことがあるという。
また、、このあたりの海を奈呉の浦といい、現在も新湊市にその地名が残っている。
高岡市はふるい歴史を持ち、その歴史を大切にしているし、あちこちに落ち着いた雰囲気を残している町である。
万葉歴史館のHP http://www.manreki.com/