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2007年01月19日

北陸観光案内その4 キトキトの魚

 北陸ではとれたての新鮮な魚のことを「キトキト」の魚という。高岡市では、氷見や新湊など富山湾に面した漁港で取れた新鮮な魚が食べられる。
 昨日も書いたが、高岡市内の「寿司喰いねえ!」という回転すし屋では、このキトキトの魚をネタにした寿司を食べさせてくれる。チェーン店となっていて富山県、石川県に数軒あるらしいが、高岡の店は食事時に行くと、いつも待たされる。
 ただ、東海地方と魚の呼び方(名前)がちょっと違うし、こちらにあるものが向こうではなかったりもする。
 富山で初めて知った魚の名前は次のようなものがある。
 まず、はまちのことは「ふくらぎ」というし、「のどくろ」や「エチオピア」などというのもある。
 「のどくろ」はあかむつのことで、「エチオピア」はヒレジロマンザイウオという魚らしい。
 いっぽう、「シャコ」をくれといったら、そんなものは知らないという。こんなやつだと説明しても、わからないという。どうやら向こうにはいないか、いても食べないらしい。
 また、取れたばっかりの魚を食べたければ、氷見市へゆけばよい。
 氷見には、「海鮮館」という市場があり、新鮮な魚やズワイかにを売っている。
 また、氷見には民宿やレストランもあるのでそういったところで食べてもいい。

 写真は、氷見市の海沿いのレストランで食事したときのご馳走の一部だ。

 氷見は、寒ぶりで有名だが、水揚げされる魚の種類も日本一多いそうだ。  

Posted by ミシェル at 23:55Comments(0)TrackBack(0)北陸観光案内

2007年01月18日

北陸観光案内その3 高岡市中心部

 高岡市は、大きく市中心部(JR高岡駅の近傍)と伏木地区とその他(最近合併した地域)に分かれる。伏木地区は古くは奈良時代に国府がおかれた場所だが、現在の市中心部はそれより歴史が新しく、江戸時代以降に発展した地域だ。前田利家の子である前田利長がこの地に城を建て、地名を高岡とした。すでに高岡城は現存せず城址が古城公園となっているが、富山県で唯一日本100名城に指定されている。 利長の養子となった利常が、その恩に報いるため菩提寺として瑞竜寺を建立したが、この瑞龍寺の山門ほかが国宝に指定されているが、これも富山県内で最初である。この瑞龍寺の境内の中央にある仏殿は、屋根が鉛瓦葺きとなって非常に重たいが、その重さを支える立派な構造となっている。またこの寺の変わっているところは、本尊として阿弥陀如来などではなく前田利長の位牌が祭られていることにもある。
 寺内は、いつもきれいにチリひとつないほど清掃されているが、聞けば住職は2人しか居ないそうである。


  高岡の旧市街は戦災にあっていないため、古い町並みや建物が残されており、かっての繁栄をしのばせる明治時代の土蔵やレンガつくりの建物が残る山町筋や千本格子と石畳の鋳造発祥の地である金屋町などが昔のままの姿を見せている。
 3月には、山町筋の旧家が開放され、昔の商家のお姫様の雛飾りを見せてくれる。
 私が訪れた時、雪とも霙とも分からぬ冷たいものが降る寒々とした日だったが、その旧家へ入って行くと、暖かくストーブが焚かれたなか、飾られたお雛様の説明や、さらには琴の演奏があり、正座をして聞かせて頂いた。さすがに、お雛様は古いものだが丁寧に作られており、どこか上品さを感じさせられたのである。
 駅前の商店街を「御旅屋(おたや)」通りという。少々さびれぎみでさびしいが、藤子F不二雄の出身地ということで、通りの公共スペースにはドラえもんがいた。
 

この御旅屋通りのお店にこんなにカラフルなでかわいらしいディスプレイがしてあったが、これは地元の手芸教室の生徒さんが作ったものだそうだ。

 高岡の町は、昔からのものが大切に守られている、こころ休まる伝統の町である。

 瑞龍寺の近くに、「寿司喰いねえ!」という回転寿司屋があるが、氷見や新湊から直送のネタを握ってくれる。安くてとてもおいしい。

 瑞龍寺HP http://www.zuiryuji.jp/  

Posted by ミシェル at 20:52Comments(2)TrackBack(0)北陸観光案内

2007年01月17日

北陸観光案内その2 高岡市伏木地区

 高岡市は富山県では、富山市に次ぐ第2の都市だ。この高岡市の伏木地区は、とりわけ古い歴史を持つ地域である。万葉集編纂で有名な大伴家持が国守として5年間を過ごし、この地区を詠んだ歌をたくさん残している。そのころの国府の跡近くに大伴家持とその時代、万葉集に関する展示を行っている万葉歴史館が立てられている。写真は雪の万葉歴史館である。この万葉歴史館の後ろにある山の名前も「二上山」といい、奈良にある山と同じ名前だ。
 JR高岡駅から新湊へ行く路面電車の名前も万葉線と名づけられている。なお、万葉線は進行方向は同じだが伏木へは行かない。万葉線ではなく、同じくJR高岡駅から出ている氷見線が、伏木地区を通る。氷見市が藤子A不二雄の出身地であるため、「忍者ハットリ君」の絵を車体に描いた電車が走っている。一方、藤子F不二雄は高岡市出身であるため、高岡市立図書館には、藤子不二雄コーナーがある。
 万葉歴史館の近くには、国分寺の跡などもあるが、おとづれる人もほとんどなく、静かなたたずまいとなっている。


 大伴家持は、当地で次のような和歌を詠んでいる。

 「馬並(な)めて いざ打ち行かな 渋谿(しぶたに)の   清き磯廻(いそま)に 寄する波見に 」
  「しぶたに」とは、現在の雨晴海岸のこと。

 「もののふの 八十娘子(やそをとめ)らが 汲くみまがふ  寺井(てらゐ)の上の 堅香子(かたかご)の花」
  「かたかごの花」とは、カタクリの花のこと。寺井は地名。

 「あゆの風 いたく吹くらし 奈呉(なご)の海人(あま)の  釣する小舟(をぶね) 漕(こ)ぎ隠る見ゆ」
  「あゆの風」は、「あえの風」ともいい、東から吹く風のことで、この風がふくといいことがあるという。
  また、、このあたりの海を奈呉の浦といい、現在も新湊市にその地名が残っている。

 高岡市はふるい歴史を持ち、その歴史を大切にしているし、あちこちに落ち着いた雰囲気を残している町である。
 
  万葉歴史館のHP  http://www.manreki.com/  

Posted by ミシェル at 23:48Comments(0)TrackBack(0)北陸観光案内

2007年01月16日

北陸観光案内その1 海王丸パーク

 ネタのない日は、北陸(富山県、石川県)の見所を紹介することにしよう。 生まれも育ちも東海地方だが、縁あって短期間だけ富山県にすんだことがある。そのころには休日ごとに、あちこちでかけていたから、少しはいいところを知っているので、業者の観光旅行ではあまり行かないところを紹介しようと思う。
 今回は、海王丸パークを紹介する。
 富山県第2の都市、高岡市から東北にあたる場所に、新湊市という小さな町がある(現在の名前は射水市)。JR高岡駅前から「万葉線」と名づけられた路面電車に乗る。この路面電車の終点を降りた先に、「海王丸パーク」がある。ここに、4本マストの練習船、「海の貴婦人」と呼ばれる海王丸が係留されている。普段は帆がたたまれているが、年に何回か「総帆展帆」(そうはんてんぱん)と呼ばれる、すべての帆を広げる行事がある、この日に行くと、すべての帆を拡げた美しい姿の海王丸が見られる。
 冬の晴れた日に訪れると、運がよければ、剣岳をはじめとした立山連峰を背景にした海王丸を見ることができる。
 海王丸は、いつでも航海できる状態で保存されているが、その内部は公開されているので、船長や航海士の部屋、練習生の部屋や食堂などを見ることができる。
 この「海王丸パーク」は高岡市の伏木地区や氷見市も近いので、そちらへ観光に行ったときに寄り道して見に行くのもいいだろう。




 海王丸HP http://www2.hitwave.or.jp/kaiwomaru/index.html  

Posted by ミシェル at 23:30Comments(6)TrackBack(0)北陸観光案内

2007年01月15日

田立の滝 妻籠

 田立の滝から夕森公園へ登ろうと出かけたが、雪が多く登山口までも入れず、妻籠を見学して帰ってきた。
 田立の滝へは、国道を入ったあたりから、道端に雪が見られ、田立の滝の駐車場に近づくにつれ、日陰の路上にも雪が残り、一部は凍結しており、途中で登るのを断念せざるを得なくなった。途中のキャンプ場も、写真のように寒々として池も凍ってお、りスケートが出来そうな状況だった。
 妻籠も季節はずれの平日とあって、開いている店もまばら、観光客もパラパラといる程度で、こちらも寒々としていたが、雪が屋根の上や道端に残っているなど、オンシーズンとは別の趣があり、悪くなかった。
 旧街道通りの民家の軒先に葉牡丹が咲いていたが、なかなか形もよくきれいに手入れされていた。
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Posted by ミシェル at 19:05Comments(0)TrackBack(0)山登り

2007年01月14日

名古屋市役所の寒椿

 ちょっと用があって名古屋市役所へいった。市役所の生垣というか歩道と市役所の境界に寒椿が咲いていた。山茶花なのか寒椿なのか正確には見分け方がわからないのだけど...


 ところで名古屋市役所の、この特徴のある建築様式、ご存知だろうか?西洋式の建て方の上部に日本式の瓦による屋根を乗せた独特の様式。昭和10年代に日本のあちこちや、そのこのろの日本の植民地である朝鮮や満州国にも建造されている。
 「帝冠様式」といい、日本のナショナリズムを昂揚し、あたりを威圧するような雰囲気をかもしだしている。(たぶん意図的に)
 隣にある愛知県庁も同じ建築様式だ。設計者は別人である。
 一説によれば、霊柩車の様式の起源もこの「帝冠様式」らしい。最近は、霊柩車の形も、もっと地味なものが増えているようだが...  

Posted by ミシェル at 19:07Comments(0)TrackBack(0)出来事

2007年01月13日

私もお年頃かしら

 我が家の猫ちゃん、最近鳴き方が、少し変わってきた。今まで、あまり鳴かない静かな子だったのに、夜になると突然大きな声で鳴く。生まれたのが昨年の1月、ちょうど生まれて1年、お年頃になったのかな?
 (最近は、なかなか写真を取らせてくれないので、昔の写真で失礼します。)
 年頃になると、写真を取らせてくれないのは、我が家の本当の娘(人間)と同じで、恥ずかしいのかな?

  いつも、餌を残すのと、知人の家の猫があまりに太っていたので、餌を少なめにあげていた。
 今日、獣医さんでみてもらったら、体重が少ないので餌をもっとたくさんあげてください、といわれてしまった。餌をケチっていたわけではないよ。あまり醜く太って欲しくなかっただけなんだ。

 お年頃になってしまったけど、去勢するのは(雌の場合はどういうの?)かわいそうだから、手術する気にはなれないよ。室外には絶対出さないようにしているので、迷惑はかけないと思うし...  

Posted by ミシェル at 23:46Comments(6)TrackBack(0)ねこちゃん

2007年01月11日

「天と地の間に」 40年ぶりの再会

 まだ青年だった頃、映画館で、ザイルを肩にまいたアルピニストが塔のような岩の上に立っている映画を見た。映画の中では空は深い碧色で、山々は真っ黒な岩の塊だった。そして、そこに真っ白な雪があった。岩にはりついてのぼり、雪の上を歩き、高い岩のうえにたつ登山者がいた。その映画は、「天と地の間に」という名前で、作った人はガストン・レビュファという名前だった。
 そのとき、スクリーンに見た岩の上に立ち手からザイルをたらした登山者と山とザイルのシルエットが今でもはっきりと脳裏に残っている。それから40年ほどの間、私はその映画の「天と地の間に」という名前と「ガストン・レビュファ」という名前を忘れたことは無く、ビデオやDVDがどこかに無いかといつも探していた。そして初恋の人のように、時々私の頭に浮かんでは消え、もう永久に逢うことが出来ない、記憶の中だけのものと感じ始めていた。
 ところが、数日前ネットで、アマゾンのDVDを検索したら、ヒットしてきた。
 なんと、販売されていたのだ。発売日は、2006年10月となっていた。40年ぶりにDVD化されたのだ。
 そして、「星にのばされたザイル(新・天と地の間に)」、「星と嵐」も発売されていた。
 今手に入ったこのDVDは、いま私の宝物になった。
 そして、あの時と同じ感動を今味わっている。

 長い間、求め続けて与えられないもの、私にはほかにもそんなものがいくつか、実はまだある。
 その中にはもっと手に入りにくいものも、いくつか含まれている。
 それらも、いつか与えられるのだろうか?たぶん、大半は無理なものばかりだろうと思う。
 しかし、与えられないと分かっていても求め続けることも、また意味があることではないのかと思う。  

Posted by ミシェル at 23:50Comments(2)TrackBack(0)読書

2007年01月10日

雨晴海岸と剣岳

 能登半島の根元、高岡市伏木地区にある富山湾に臨む海岸。昔、義経と弁慶が落ち延びてゆくとき雨宿りし、雨が晴れるのを待った岩があるので、この名前がついた。「あまはらし海岸」と読む。海の向こう側に3000メートル級のやまなみが見えるのは、世界でも珍しいとか。3年ほど前のちょうど今頃、富山県に単身赴任していた時にこの景観を撮影した。「雨晴海岸と剣岳」と文字が入っている場所は、カメラによる撮影日付が入っていたので、文字を上書きしたものだ。
  富山県は、「弁当は忘れても傘は忘れるな!」といわれるように、晴天が続くことはすくなく、晴れていても数時間単位で天候が変わり、すぐ曇ってしまう。特に剣岳などの立山連峰がはっきり見える日は、年に数えるほどしかない。空気がすんでくる冬の間、1月から2月の間くらいが写真が撮れるほんの短い期間となる。
 その後毎年、何度も北陸には足を運んでいるが、今年も蟹を食べに行きたいと思っている。  

Posted by ミシェル at 12:27Comments(1)TrackBack(0)旅行

2007年01月09日

富士山・青木が原樹海

 帽子をかぶった富士山。竜ヶ岳登頂の前日には、富士山の頭に笠雲がみられた。この形は「かいまき笠」か「みだれ笠」か、笠雲にもいろいろな名前があるらしい。この日は、笠雲がどうしても富士山の全体像を見せてくれなかった。
 パノラマ台から見た青木が原樹海の姿。広く不気味に広がる木の海は、なるほど、一度迷い込んだら誰も出てこられないことがわかるような気がする。手前の湖は精進湖。

 翌日、朝霧高原付近から見た富士山。この日は笠雲はなく、頂上付近では雪煙があがっているのが見られた。かなり強い風が吹いている様子だ。この方向からは、あばたのように大きくえぐれた大沢崩れが見える。  

Posted by ミシェル at 23:50Comments(2)TrackBack(0)山登り

2007年01月08日

ダイアモンド富士(竜ヶ岳)

 1月7,8日と竜ヶ岳に登って来た。ここは、1年のうちの数日だけ、太陽が富士山の頂上真ん中から顔を出す日がある。この富士山の頂上から登る太陽が頂上におかれたダイアモンドのように美しくみえることから、「ダイアモンド富士」と呼ばれているそうだ。
 今年は、ちょうど1月の7日、8日がその日に当たるので、山の会の人につれて行ってもらった。
 天気予報では、3連休は天候が荒れ模様との予想だったのだが、富士山の辺りは、快晴で気持ちいいくらい富士山がよく見えた。
 ダイアモンド富士が見えるのは、朝の7時半ということで、ふもとのペンションを4時半に出発し、まだ真っ暗な雪の山道を登る。気温は氷点下、手や足のつま先が凍える中、ひたすら登ること3時間ほどで、竜ヶ岳(ダイアモンド富士が見られるポイント)の頂上へたどり着く。西には朝焼けに赤く染まった南アルプスを見る事が出来、富士山が西の山や雲に三角形の影を落とし、その影が西のほうから次第に東へ近づいてきて、竜ヶ岳の頂上に達したときが、「ダイアモンド富士」が見えるときである。
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Posted by ミシェル at 17:08Comments(3)TrackBack(0)山登り

2007年01月06日

上野天神 合格祈願

 今日は上野天満宮へお参りした。娘が受験なので、駅前へ行く途中にちょっと寄り道して参拝した。さすがに、高校受験、大学受験くらいの年齢の子供が親子連れで来ている姿がたくさんみられた。
 やはりいざとなると神仏にも頼りたい気持ちは私だけではないようだ、


 ちょっと珍しかったのは、境内のあちこちに、小さなこけしがおいてあることだった。
 お札を売っている場所へいってわかったのだが、どうやらこのこけしみたいな人形の中におみくじがはいっているらしい。おみくじを人形から出した後に、不要となった人形を境内の狛犬や、牛の飾りものの周りにおいて帰るというわけだ。
 上の娘を連れてきたとき(10年以上前)には、こんなものはなかったと思う。
 この神社の神主さんが、特色を出すために考え出したものだろうか?  

Posted by ミシェル at 11:53Comments(2)TrackBack(0)出来事

2007年01月04日

サイモン・シン ビッグバン宇宙論

 年末年始にかけて読んでいる本。
 サイモン・シンの「ビッグバン宇宙論」。ギリシャ時代の宇宙観から始まり、天動説と地動説の闘い、相対性理論から最新の宇宙論までを解説した上下2巻の本である。
 他にもサイモン・シンの本は読んでいるが(続き参照)、分かりやすくて読んで楽しい本である。
 まだ、上巻の終わりあたりを読んでいるが、理論の解説よりも、それぞれの理論の成立までの過程や、それを発見したり確立した科学者たちにまつわるエピソードなどが詳しく書かれており、興味深く読める。  続きを読む

Posted by ミシェル at 12:28Comments(0)TrackBack(0)読書

2007年01月04日

謹賀新年

 あけましておめでとうございます。
 昨年末のNHK紅白歌合戦は、生方アナウンサーの「みそら...」以来の話題提供だったようで。
 でも、人間も組織も事後の釈明(いいわけ)に人間性や組織の風土が顕われてしまうようですね。


  

Posted by ミシェル at 12:10Comments(0)TrackBack(0)出来事

2006年12月29日

ソウル ヨンさま靴下

 ソウルの西大門の横丁を歩いていたら、「ヨンさま靴下」を売っていた。面白かったので、数足購入してきた。
 よく見ると、ローマ字で「Yonsama」と書いてある。
 ということは、もちろん日本人向けに作ったということだろう。
 帰国して、ヨンさまファンの人に上げたが、やはり靴下として足に履くようなことは出来ないそうだ。
 飾っておくらしい。  

Posted by ミシェル at 13:26Comments(0)TrackBack(0)旅行

2006年12月28日

ソウル 円ーウォン換金レート

 ソウル旅行で悔しかったこと、それは両替に失敗したこと。ソウルへ行く前に、旅行代理店で現地の通貨への換金について聞いたところ、現地へ行ってから換金すればよいといわれたのだが...出発の朝、ソウルへ着いたばかりのときに現地の通貨が一銭もなくては困ると思い、ついセントレアの三菱東京UFJ銀行で数万円をウォンに換金してしまった。ところが、細かいお金(硬貨など)もほしかったのに、10,000ウォン単位までしか換金してくれず、仁川空港へ着いて電話をすることになったとき、また空港の両替所で10,000ウォン札を硬貨に崩してもらわなければならなかった。
 その後、現地の町の両替屋で換金したり、食事をしたときや、買い物をしたとき、そして現地で使ったクレジットカードの精算(請求)時など、それぞれ換金レートが異なっていた。現地の銀行やホテルでは換金しなかったので、そのあたりのレートは分からないが、自分が換金した中では、三菱東京UFJ銀行の換金レートが一番悪かった。
 それぞれのレートは以下のとおり。      (1日本円あたり)
  三菱東京UFJ銀行(セントレア出張所)    6.9589 ウォン  1    
  現地の町(ソウル市内)の両替商        7.7500 ウォン         
  焼肉屋 7.9000 ウォン                       
  オプショナルツアー代金支払い 7.6190 ウォン      
  クレジットカード(AMEX) 7.6643 ウォン 

 これを見ると、三菱東京UFJ銀行の換金率の悪さが一目で分かると思う。
 もし、50,000円を両替したら、 
  三菱東京UFJ銀行だと  347,945ウォン、ソウルの焼肉屋だと 395,000ウォン
  その差は 、47,500 ウォンで、日本円にすると 6,000円くらいとなり、1割以上の差だ。
 47,500ウォンあれば、写真の韓定食を二人で食べられる。
  もし、韓国へ行く人がいたら(韓国には限らないと思うが)、両替には十分注意して、少しでも有利なところで行ってください。
 ソウルのインサドンの横丁のレストランで、写真の韓定食を食べたが、とてもたくさん料理が出てきて豪華な感じだった。この写真の倍くらいの種類が出てきた。でも、日本人の私から見ると、どれもみんな同じような味付け(とにかく辛い)で量も多いが、とても完食は出来なかった。
 ほかにも、西大門の食堂街(といっても、市場のなかの食堂がならんでいるところ)で食べた食事も焼肉屋も、安くて量が多かった。どれも辛いので、辛いものに弱い人は、おなかの調子が悪くなってしまうから気をつけたほうがいい。
 ちなみに、西大門はすごく大きな卸市場のようなところで、金沢の近江町市場を5倍くらいにして、服飾品やかばん、めがね、食品、その他あらゆるものを売っているといった感じのところで、商品も人もあふれているような活気のある場所だった。ソウルへ行く人はぜひ立ち寄ったほうがいいと思う。
 ここで、現地の人(店の人)を相手に買い物をするのはすごく楽しい。
   

Posted by ミシェル at 14:42Comments(0)TrackBack(0)旅行

2006年12月24日

ソウルは雪だった。

 17日から2泊でソウルへ行ってきた。ソウルは冷え込んでおり、空港は真っ白だった。雪が降ることは年に数日しかないとのガイドの話だが、ちょうどその数日にあたったようだ。雪で白くなったソウルの町は、なかなか魅力的だった。写真は青瓦台だが、中国人の観光客がバスで来ていた。最近は中国やロシアからの観光客が多いそうだ。
 2日目の夜、オプショナルツアーで、ソウルの町のナイトツア-へ繰り出したが、ソウルの町は日本以上に電飾が盛んで、どこへ行っても、ホテルの前も、広場も電飾だらけで、きれいというかにぎやかというか、はっきり言うと食傷気味なくらいだった。たまたま同行した「ユンさま」ファンの中年女性4人組は感動しきりだったが、こちらはっちょっとノリ切れない気分だった。
  ソウル市内の繁華街インサドンを歩いていたら、いきなり黒い服を着た背の高い、いかつい人間が周りを威圧しながら進んできたので、何が起こったのかと思ったら、周りをSPに固められた長身の、でも顔がぶつぶつの人物が現れた。テレビや新聞で見たことがある顔だと思ったら、ウクライナのユーシチェンコだった。
 何かで韓国を訪問し、たまたま市内観光をしていたのだろうか?ちょっと珍しい体験(普通には見れないものを見た)ができた。思わずデジカメで写真を撮ったが、さすが小なりといえど一国の大統領、しかも混乱の中から実力で権力を握った人間だけに、独特のオーラを感じさせられた。  

Posted by ミシェル at 22:51Comments(0)TrackBack(0)旅行

2006年12月16日

ノートPC改造

 使っていたノートPCが時々止まったりするようになったので、少し改造することにした。かなり前の機種ので、CPUの方も古いし、メモリも少なかったので、この際CPUのアップグレードとメモリの増設を行うことにした。
 CPUはDuron800MHzなので、これをもう少し早いCPUにしようとヤフーオークションで探していたら、Athlon1.1GHzというものが売りに出ていた。同じ型のソケットで換装できるようなので、これをいきなり希望販売価格で落札した。値段は数千円。メモリは、現在128MBで最大搭載可能が378MBとなっているので、256MBのものをやはりヤフーオークションで探して落札した、メモリの方が値段が高く、CPUの倍位した。CPUもメモリもすでに手に入りにくくなっているので、ネットオークションでないと、なかなか入手できない。
 CPUとメモリの値段の違いは、やはりメモリの増設はちょっとPCに詳しい人ならできるが、CPU の換装となると気軽に手が出せないので、その分メモリのほうが割高ということなのだろうか?
 確かにCPUの差し替えにはちょっと勇気がいった。ネットで経験談を調べていると、失敗してCPUを割ってしまったような話も書いてあったので、かなり緊張したが、なんとか失敗せずに完了した。
 ベンチマークテストをすると、数値上では1.3倍くらいの性能向上だったが、ベンチマークテストではメモリ増設の効果があまり見られなかった。これはベンチマークの内容自体があまりメモリ増設の効果を測れないのではないかと思っている。実際に使うアプリを起動して動かしてみれば、メモリ増設の効果を実感できるだろう。
 最近は、パソコンを含め電化製品は捨てるのにもお金を取られるし、一方メーカーは次々新機種をだして新しい物を買わせようとするが、本当は故障すれば修理し、性能が見劣りしてきたらこうしたバージョンアップを行い、末永く大切に使うようにしたいものである。  

Posted by ミシェル at 13:12Comments(0)TrackBack(0)PC・インターネット

2006年12月16日

ノーザンライツ・星野道夫

 このあいだ娘について、ビレッジバンガードへいったとき、ふと目に付いて「ノーザンライツ」という本を買った。これまで、星野道夫という書き手(写真家)の名前も知らなかったが、なんとなくアラスカに興味を持って買ってしまった。ところが、これを読みだしたら、読み進むにつれて涙で目がうるうるしてきてしまった。こんなに感動した本は久しぶりだ。飛行機に乗ることが大好きな女性ジニーとシリアがおんぼろの飛行機で27日間かけて 、苦労してアラスカを目指して飛び、1947年1月1日やっと農場に着陸し、その後アラスカの自然を守る運動の中心になる話や、カリブーの移動やエスキモーの素朴な暮らしやなど、考えさせられる話や勇気付けられる話がいっぱい書かれているが、創作ではなく、すべてが星野道夫が直接聞いた話であるところが、また素晴らしい。
 早速、星野道夫の写真を使ったカレンダーも買いに走ってしまった。
  「イニュニック」という本もあるらしい。すぐにも読んで見たいが、近くの本屋にはなかったので、ネットででも買おうかなと考えている。  

Posted by ミシェル at 01:05Comments(0)TrackBack(0)読書

2006年12月15日

検査結果が出た!睡眠時無呼吸症候群

 病院へいって、睡眠時無呼吸症候群の検査結果を聞いて来た。
 結果的には治療の必要なしだったが、いろいろなことがわかった。
 大体において、睡眠時無呼吸症候群というのは、睡眠中に10秒以上の呼吸停止が1時間あたり5回以上あることらしい、私の場合は5.9回だったので、症状としてはまさしく睡眠時無呼吸症候群に該当するが、軽いほうということになるらしい。また、無呼吸の程度も、一時的に完全な無呼吸状態になるものと、その手前の低呼吸状態に分類してあって、私の場合には低呼吸状態のほうが大半だった。さらに、指先で測定した血中酸素飽和度も低くなかった(酸素が全身に回っている)。
 そのほかにも、睡眠の内容(浅いか、深いか。レム睡眠とノンレム睡眠の比率)なども調べてくれた。
年のせいか、悩みが多いせいか、浅い睡眠のほうが多かったらしい。
 それで治療はしないで、生活上で注意することなどを聞いて、診察はおわった。

 費用は若干必要だが、自分の症状の程度などもわかり、安心できたので検査してよかったと思う。
 ちなみに、同時に4人が同じ検査を受けたのだが、中にはもっと症状のひどい人もいたらしい。  続きを読む


Posted by ミシェル at 16:57Comments(2)TrackBack(0)出来事

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プロフィール
ミシェル
ミシェル
ターキシュアンゴラです。 体の毛の色は純白、耳の辺りはピンク色です。 もうすぐ4歳です。(2006年1月生まれ) 好きなことは、昼寝、爪とぎ、障子破り。 趣味は障子の桟でジャングルジム遊びをすること。ケーブルの噛み切りと屋外への脱走の情熱は冷め気味。
好きな作曲家は、ボルフガング・アマデウス・モーツアルト。 特に好きな曲は、ピアノ協奏曲22番、23番。クラリネット協奏曲は聴きすぎて、ちょっと食傷気味になってしまった。 ヴィヤニエフスキーのヴィオリン協奏曲2番(五嶋みどり演奏)も時々聴きます。
おりにふれ、また見てみたいなと思う映画は、やはり「スタンドバイミー」かな。ベン・E・キングの歌がとてもいい。
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